【街道説明】奥多摩街道

●街道説明(GEMINIより)

奥多摩街道(おくたまかいどう)は、東京都立川市から青梅市にかけて多摩川北岸を東西に縫うように走る歴史ある街道です(東京都道29号立川青梅線などに指定)。

単なる生活道路にとどまらず、「江戸城造営を支えた石灰輸送」や「日光参詣の交通要衝」など、江戸・明治の日本の発展を影で支えた豊かな歴史的背景を持っています。

1. 起点・終点と基本ルート

  • 起点:東京都立川市(日野橋交差点・甲州街道接続)

  • 終点:東京都青梅市(勝沼交差点・旧青梅街道接続)

  • 経由:立川市 ➔ 昭島市 ➔ 福生市 ➔ 羽村市 ➔ 青梅市

起点の日野橋は、かつて「日野の渡し」として甲州街道と結ばれていた交通の要衝です。ここから多摩川の河岸段丘に沿って緩やかにカーブを描きながら、青梅・奥多摩の山裾へと伸びています。

2. 街道が紡いだ深遠な歴史(むかし道・青梅街道としての歩み)

① 江戸の大火と「石灰(いしかい)の道」

明暦3年(1657年)の「明暦の大火」により江戸の街は壊滅的な被害を受け、幕府は防火対策として江戸城や武家屋敷の土蔵、漆喰壁(しっくいかべ)の建設を急ピッチで進めました。その材料となったのが、成木や吉野(現在の青梅市周辺)で産出された高品質な石灰(白炭)です。 奥多摩街道(当時の青梅街道)は、この石灰を八王子や内藤新宿を経由して江戸へ運ぶための「石灰の道」として幕府の手により最優先で整備されました。

② 青梅縞(おうめじま)と多摩川の舟運

江戸中期以降、青梅周辺で織られた綿織物「青梅縞」は、江戸の町人の普段着や着物の裏地として爆発的な人気を博しました。青梅街道や奥多摩街道を通じて多くの馬子や商人が行き交ったほか、羽村や拝島などの河岸からは多摩川の舟運を利用して木材や物資が江戸へ下っていきました。

③ 拝島宿(はいじまじゅく)と日光脇往還の交差点

昭島市付近に位置する拝島宿は、八王子から日光へと向かう「日光脇往還(千人同心街道)」と青梅街道が交差する交通の十字路として栄えました。参詣客や商人で行き交う旅籠や茶屋が立ち並び、拝島大師の門前町としても大いに賑わいました。

④ 新道(新奥多摩街道)の誕生と「旧道」への変貌

昭和期に入ると、モータリゼーションの波とともに交通量が爆発的に増加。昔ながらの集落や曲がりくねったカーブの多い奥多摩街道では対応しきれなくなり、南側の多摩川寄りにまっすぐで広幅員のバイパス「新奥多摩街道」が建設されました。幹線道路としての役割を新道に譲ったことで、旧道となった奥多摩街道には奇跡的に往時の集落の佇まいや歴史的遺構が今に残されることとなりました。

3. 往時の歴史を今に伝える沿線スポット

  • 日野の渡し跡(立川市):甲州街道との接続点。甲府へ向かう旅人と青梅へ向かう物資が交錯した起点です。

  • 拝島大師・拝島宿(昭島市):江戸時代の宿場町の格子戸や旧家が一部残り、日光脇往還との交差点の面影をとどめます。

  • 玉川上水羽村取水堰(羽村市):承応2年(1653年)、江戸の深刻な水不足を解消するために玉川兄弟が開削した玉川上水の起点。街道と水路が交差する歴史的土木遺産の象徴です。

  • 旧青梅街道の街並み(青梅市):終点の勝沼交差点周辺から青梅宿へと繋がり、かつての映画看板やレトロな商店街とともに、青梅縞で栄えた織物の街の余韻を感じさせます。

近代的なバイパス(新奥多摩街道)を走るのとは一味異なり、旧道である「奥多摩街道」を走ると、緩やかな曲がり角や沿線の神社仏閣、古くからの地名の中に、江戸の町を支えた職人や商人たちの呼吸が今も息づいているのを感じることができます。

●グーグルマイマップ

●街道記

日数 日付 開始 終了 距離

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする