【街道説明】日光脇街道(八王子千人同心街道)

●街道説明(GEMINIより)

日光脇街道(千人同心街道)の歴史とルート

日光脇街道(にっこうわきかいどう)は、江戸時代に武蔵国・八王子宿(現在の東京都八王子市)と日光東照宮(栃木県日光市)を結んでいた重要な脇街道(脇往還)です。

地元多摩地域では、江戸幕府の職制である「八王子千人同心」が往来したことから「千人同心街道」や「八王子千人同心街道」などの通称で広く親しまれています。

1. 基本情報(区間と距離)

  • 起点:八王子宿(追分)[東京都八王子市追分町]

  • 終点:日光鉢石宿[栃木県日光市鉢石町]

  • 主要経由地:拝島、箱根ヶ崎、川越、坂戸、東松山、熊谷、館林、佐野(天明)、栃木、壬生、今市

  • 全線距離:約160km(約40里)

2. 街道の最大の役割:八王子千人同心の日光勤番

この街道が幕府によって整備され、頻繁に利用された最大の目的は「八王子千人同心の日光警備(日光勤番)」です。

1652年(承応元年)以降、八王子に配置されていた千人同心たちは、日光東照宮の防火および警備という重大な任務を命じられました。50人規模の組が交代制で、年間を通じて八王子と日光の間を定期的に往復したため、彼らが歩いた道がそのまま「千人同心街道」として定着しました。

3. 江戸を迂回する大型バイパス(東西幹線との交差)

日光脇街道の大きな特徴は、「江戸の都心部(日本橋)を経由せずに、武蔵・上野・下野(東京・埼玉・群馬・栃木)を南北に直結していた」という点です。現代で言えば「圏央道」や「国道16号」のような巨大な環状バイパス機能を果たしていました。

途中で甲州街道、青梅街道、川越街道、中山道といった主要な幹線街道と次々に交差していたため、軍事的なバイパスとしてだけでなく、各地の農産物や木炭、生糸などを運ぶ物流の大動脈としても大いに賑わいました。

4. 天明宿(佐野)での「日光例幣使街道」との合流

八王子を出発した日光脇街道は、拝島で多摩川を渡り、箱根ヶ崎・川越・熊谷・館林を経て北上し、天明宿(現在の栃木県佐野市)へ至ります。

この天明宿で、中山道の倉賀野宿(高崎市)から東へ伸びてきた「日光例幣使街道」と合流(重複)します。

  • 天明宿までの区間:八王子千人同心街道独自の南北ルート

  • 天明宿からの区間:格の高い「日光例幣使街道」のルートを踏襲

八王子からまっすぐ北上してきた千人同心たちは、佐野(天明宿)で東西の主要幹線である例幣使街道に乗ることで、その先は栃木宿・楡木宿(鹿沼市)・今市宿を経て、スムーズに日光東照宮へと向かうことができました。

5. 多摩地域におけるルートと現代の見どころ

多摩地域においては、八王子宿(追分)を出発したのち、拝島街道と同じルートをたどって多摩川の「拝島の渡し」を渡り、拝島宿(昭島市)を経て北上。箱根ヶ崎宿(瑞穂町)で青梅街道と交差し、埼玉県側へと入っていきます。

現在でも八王子の「追分の道標」や瑞穂町郷土資料館(けやき館)など、街道沿いの各所に千人同心たちの足跡や歴史を伝える史跡が残されており、武蔵野と北関東の歴史を繋ぐ味わい深い古道として愛されています。

まとめ

日光脇街道は、「千人同心の日光勤番」「江戸を避ける南北の物流バイパス」「天明宿(佐野)での例幣使街道との合流」という3つの大きな要素によって成り立っている、多摩と日光を結ぶ歴史ロマン溢れる街道です。

 

 

●グーグルマップ

『気ままに街道歩き』より

気ままに街道歩き(千人同心日光街道)

 

 

●街道記

日数 日付 開始 終了 距離

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