
●街道説明(GEMINIより)
「野猿街道」という名前は、現在の八王子市下柚木付近にあった「野猿峠(やえんとうげ)」に由来しています。
かつてこの峠周辺は深い山林で、野生の猿が頻繁に出没していたことから「野猿峠」と呼ばれるようになりました。大正時代以降、この峠を通るルートが整備され、バスや自動車が通る道路として「野猿街道」の名が定着していきました。
2. 「むかし道」としてのルートと役割
昔の野猿街道は、府中(大國魂神社付近)から政事・経済の中心地であった八王子へと結ぶ重要な街道でした。
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東西の物流・生活の道
多摩川や浅川の南側に広がる多摩丘陵の北麓に沿って走っており、沿道の農村(由木地区や百草、関戸など)で採れた農産物や絹織物を府中や八王子、さらには江戸・東京へと運ぶための生活物流ルートでした。
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シルクロード(絹の道)との交差・連携
八王子は「桑都(そうと)」と呼ばれるほど織物業が盛んな地域でした。八王子から横浜港へと絹を運んだ「絹の道」や、甲州街道など他の主要街道ともつながり、地域間の交易を支えていました。
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古道(鎌倉街道など)との交錯
街道の途中で「鎌倉街道(上道・中道)」などのさらに古い中世の古道と交差し、多摩地域の交通の要所をいくつも通過していました。
3. かつての街道風景と歴史の影
現在の野猿街道沿いは中央大学・帝京大学などのキャンパスやニュータウンが広がる学園都市・住宅街ですが、むかし道としての沿道には豊かな里山風景が広がっていました。
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野猿峠の難所
今でこそ車で滑らかに越えられる峠ですが、昔は多摩丘陵を越える勾配の急な難所であり、旅人や行商人が息を切らせて歩いた場所でした。
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神社仏閣と史跡
街道沿いには、古くから地域を守ってきた神社(由木のアナバ的な神社や百草園周辺など)や地蔵菩薩、道標(道しるべ)が今もひっそりと残っており、往時の旅人が安全を祈願しながら歩いた名残を留めています。
まとめ
現在の「野猿街道」は多摩ニュータウンの発展とともにバイパス化・拡幅整備が進み、近代的な幹線道路へと生まれ変わりました。しかし、一本裏道に入ったり旧道区間を歩いてみると、多摩丘陵の谷戸の面影や古い地蔵・道標が残っており、「武蔵国の農村と八王子の街を繋いだ生活と絹の道」としての昔日の歴史を静かに感じ取ることができます。
考察
①江戸時代・むかし道(小野路道)としての起点・終点
起点:八王子宿・子安村周辺(現在の東京都八王子市子安町・興林寺前)
終点:小野路村(現在の東京都町田市小野路町)
②昭和初期以降(野猿街道)としての起点・終点
起点:東京都八王子市横山町(横山町郵便局前交差点=旧甲州街道交点)
終点:東京都国立市谷保(青果市場東交差点=国道20号日野バイパス交点)
むかし道としての起点はほぼ同じであるが、終点は小野路村だったみたいだ。
しかし、説明では府中につながるなどと記載されているため、明確な道として定義はされていなかったものと推察した。
そのため、甲州街道の脇街道と捉えてみて、甲州街道沿いの谷保天満宮から甲州街道八王子宿までの道を野猿街道と自分なりに定義してみた。
これは②の昭和初期以降の現在の野猿街道と同じ道であるが、こちらの方がしっくりときた。
地図
●街道記
| 日数 | 日付 | 開始 | 終了 | 距離 | |
| 1日目 | 2026.07.26 | 谷保天満宮 | 聖蹟桜ヶ丘 | 3.7㎞ | |
| 2日目 | 2026.08.15 | 聖蹟桜ヶ丘 | 八王子宿 | 12.2㎞ |